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和歌山地方裁判所 昭和42年(行ウ)5号 判決 1969年11月06日

原告 李占玉

被告 和歌山労働基準監督署署長

訴訟代理人 北谷健一 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、当事者の求める裁判

原告訴訟代理人は「被告が原告に対し昭和三九年九月一一日付でなした労働者災害補償保険法による遺族補償費及び葬祭料を支給しない旨の処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は主文同旨の判決を求めた。

二、原告の主張

(一)、原告の夫訴外亡李震基(以下単に李という)は和歌山市清掃事務所作業員として、同市の塵芥処理作業に従事していた者であるが、昭和三九年七月二四日午後二時頃同市本脇駒井谷埋立地に於て、清掃車からごみを降ろす作業に従事中、脳出血を発病して(以下本件脳出血及び本件発病という)倒れ、同日午後八時頃同市内にある済生会和歌山病院に於て死亡した(以下本件死亡という)。

(二)、そこで原告は同年八月七日被告に対し労働者災害補償保険法の規定による遺族補償費及び葬祭料の支給請求をしたが、被告は同年九月一一日付で李の死亡は業務上の事由によらないものであることを理由に、原告の請求する右各補償を支給しない旨の決定(以下本件決定という)をした。そこで原告は右処分につき被告に対し審査請求したが棄却され、更に労働保険審査会に対し再審査請求をしたが昭和四二年二月二八日これも棄却された。

(三)、しかし右李の発病ないし死亡(以下両者を総合して本件災害という)は次に述べる理由により同人の従事していた業務(以下本件業務という)に起因するものと認むべきであるから被告の右決定は違法である。

(1)、(イ)本件業務はその作業対象の性質、運搬車両の構造の不完全等のため平素から重労働であつたが、発病前数日間は連日三〇度を超える猛暑が続き、このことと作業場(前記埋立地)の悪環境(風通しの全くないごみの山であつた)とが相まつて甚だしく同人の体力を消耗し、その体内に相当程度の疲労を蓄積するに至つた。(ロ)発病当日は温度三〇・三度、湿度六〇%のむし暑い日で前記作業場の臭気と湿気とは殊の外強かつた。(ハ)同人には梅毒性血管病、高血圧症等、脳出血の素因ないし基礎疾病となるものは何もなく、普通の健康体であつた。以上の事実を併せ考えると本件災害は疲労の蓄積及び劣悪な環境下に於ける激しい身体的努力といういずれも業務に起因する事象から血圧の急激な上昇を来し、それが直接の契機となつて発生したものと認めるのが相当である。

(2)、仮に右発病が業務に起因するものではないとしても、(イ)李を病院に運んだのは救急車でなく(李の同僚は救急車を呼んだのに来たのは小型貨物自動車であつた)(ロ)右貨物自動車が現場に到着するまでに一時間を、更に現場から病院に到着するまでに一時間を各費やし(ハ)その間李の病状は悪化し、殊に車中振動のため嘔吐するなどのことがあつた。以上の各事実に徴するならば李の死亡は発病後の措置の不適切によるものと考えられるのであるが、右措置の不適切は本件業務が内包する危険性(辺鄙な場所で作業せねばならないことに起因する)の発露に外ならないから、これによつて惹起せられた本件死亡の結果と、本件業務との間には相当因果関係があるというべきである。

(3)、脳出血の発病及びそれによる死亡の如く、業務に起因するか否かが医学的に立証困難ないし不可能な場合にあつては、いやしくもそれが業務遂行中に生じた災害である以上業務と災害との間の因果関係の不存在が立証されない限り、業務起因性を認めるのが、労働者災害補償制度を設けた趣旨に合致する所以である。この立場に立てば本件の場合、李が業務遂行中に発病したことは明らかであるから、かりに右(1) 及び(2) の主張が認められないとしても、右発病が専ら同人の潜在体質その他業務外の原因に基くものであることの立証がない限り右発病は業務に起因するものと認定するのが相当である。

(四)、よつて本件決定の取消を求める。

三、被告の答弁及び主張

(一)、原告主張(一)及び(二)の各事実を認め、同(三)の事実を否認する。

(二)、本件災害と本件業務との間には相当因果関係なく、従つて右災害は明らかに業務に起因するものとは言えない。その理由は次の通りである。

(1)、脳出血は一般に潜在体質(脳動脈硬化、高血圧症、梅毒性血管病等の素因もしくは基礎疾病)に起因するものであるが、直接の契機となるものは血圧の上昇等であつて、これは急激な身体的努力、興奮、飲酒等により起ることが多い。一般的に五〇才以上の高年者男子に多く、急激な発作の場合は前駆症状が全くないことがある。そして発病が専らかような潜在体質に起因することが明らかな場合は、業務起因性を欠くこと明らかであり、潜在体質によるものか否不明の場合は、当該労働者の従来の業務内容に比し質的、量的に著しく過激な業務に従事し、ために強度の身体的努力若しくは精神的緊張があつたと認められるとき、あるいは突発的且つ異常な出来事による強度の驚愕、恐怖があつたと認められるときはじめてこれを業務上の疾病と判定し得るのである。

(2)、 ところで李の場合、同人の一日の所定労働時間は八時間となつているが、実際に筋肉労働に要する時間は一日平均三ないし四時間程度であり、また同人は以前土木をしていたこともあるので、本件業務は客観的にも主観的にも、さ程の重労働ではない、且つ同人の発病当日の作業内容は、平常とほぼ同質、同量のものであつたし、当日の同人の行動も平常と変らず、作業従事中に異常な出来事も起らなかつた。また、同人が発病当日までの作業によつて疲労を蓄積していたとか、体力を消耗していたとかという事実もなかつた(なお、疲労の蓄積等は、前記のような過激な業務による肉体的負担の強度を増大する附加的要素として考慮すべきである)。そうだとすれば本件災害は李の潜在体質に起因するものであり、そうでないとしても、本件業務との間に相当因果関係はないものと認むべきこと(1) の事理に照らし明白である。

四、証拠<省略>

理由

一、原告主張の(一)及び(二)の各事実については当事者間に争いがない。争いがあるのは、本件災害の発生が本件業務に起因するか否かの一点である。よつてこの点につき、以下項を追つて検討を進めることとする。

二、 <証拠省略>によれば、

(1)、極めて異常且つ急激な血昇があつた場合を除き、脳出血が起るのは外部的要因により脳出管自体に損傷を生ずるか、出血性素因(その基礎疾病としては脳動脈硬化症 梅毒性血管病、白血病等が考えられる)があつてそのため脳動脈がその時の血圧に破綻なく堪えることが出来ない場合に限られること

(2)、動脈硬化の原因としては、ネフローゼ、粘膜水腫、糖尿病等の疾病が考えられるが、最も多いのは高血圧症、肥満型の人が陥り易い血中コレステロールの増大であること。を、弁論の全趣旨により<証拠省略>の結果を総合すると

(3)、李が病院に収容された当時(発病時から最大限度約四五分を経過した時点であること後に認定するとおり)の血圧は最高一九〇、最低一一〇測定値を示し、同人の年令(五〇才)の標準値(最高一五〇、最低九〇程度)と比較して相当高く、発病時は少くとも右測定値以上の血圧であつたこと。

(4)、李は数年前肝臓病で一時治療を受けたことがある外、ネフローゼ、粘膜水腫、糖尿病等を患つた形跡なく、一見頑健、屈強で肥満型でなく且つ梅毒性血管病、白血病等による脳血管障害は認められず、また、発病時に何らかの外部的要因で脳血管が損傷された事実もないこと。

を、又後記認定にかかる李の平素と発病当時とにおける各作業内容、労働の軽重、発病当日の同人の行動及びその他の外部的条件を総合すれば、

(5)、本件発病当時、李につき他の要因とは無関係に脳出血を誘発する程の異常且つ急激な血圧の上昇を来すような事情は見出しえないこと

を、各認めることができる。

よつて右(1) (2) の理を(3) 以下の事実に適用して考えるときは、本件脳出血の基礎疾病として脳動脈硬化症の存在が更に右脳動脈硬化症の原因として高血圧症の存在がそれぞれ相当高い程度の蓋然性を以て推認されるのである。

三、 本件脳出血につきその基礎疾病として脳動脈硬化症の存在が高度の蓋然性を以て認められること右の通りである以上、反証のない限り右脳出血と、右基礎疾病との間に因果関係ありと認めることは合理的である。しかしながら、このことから直ちに本件災害に業務起因性なしとの結論を導くことは早計である。けだし労働基準法施行規則第三五条三八号の「業務に起因する……」とある中には業務上の事由を唯一の原因として発病した場合だけでなく、業務が相当強い原因力を以て基礎疾病と共働的に作用した場合をも含むと解するのが相当であり、しかるときは右共働的作用の存否に従い業務起因性の有無が決せられることとなるからである。以上の立場に立つて本件を案ずるのに、本件脳出血には(1) 李の脳動脈は既に硬化し、そのため堪え得る血圧の高さに限度があつたこと、(2) 本件発病当時の血圧が右の限度を超えたこと、以上二つの契約が存することは前記二の(1) に認定した学理から当然推認しうるところであるから、右にいう共働的作用の存否は右の限度超過につき本件業務が相当程度の原因を与えたか否かによつて決せられることとなり、その点の認定如何が業務起因性の存否、ひいては本訴請求の当否を決定する要因となるものといわなければならない。よつて以下右の点につき項を改めて検討する。

四、 <証拠省略>の結果を総合すると次の事実を認めることができる。

(1)、塵芥収集作業は、戸別収集(一般家庭を対象とする)と委託別収集(特に委託を受けた営業所、店舗等を対象とする)とに分れ、いずれも一台の貨物自動車に運転手を含めて三名(小型自動車の場合)ないし五名(大型自動車の場合)の作業員が乗組み、一定の受持区域内の塵芥を収集して自動車に積載し、塵芥処理場(本件の場合は駒井谷埋立地)に搬入したうえ、これを熊手で降ろすことを内容とする。このうち筋肉労働を要するのは塵芥の入つた箱、籠類を各戸口から自動車まで運んでこれを積み込む作業、及び塵芥処理場で自動車から塵芥を降ろす作業であつて、その所要時間は塵芥の収集、積載については一ケ所につき五分から三〇分位の幅があり合計して一日三時間位、塵芥を降す作業については一日二回(午前午後各一回づつ。但し月曜日は午前中二回のこともある)行われ、各回三〇分ないし四〇分合計して一日一時間余りかかる。従つて一日の労働時間は七時間半ないし八時間であるが、そのうち筋肉労働に要する時間は平均四時間余りとなる。なお土曜日は時間労働として全日作業するのが普通であるが日曜日は休日である。

(2)、右駒井谷埋立地は南北を低い山に狭まれた幅数十米の長い谷間で、夏期は暑熱と集積した塵芥、特に腐敗した食物薬品等による臭気が充満し、ここでの作業は相当の苦痛を伴う。

(3)、李は昭和三七年頃、それまで従事していた土工をやめ以後臨時雇として和歌山市清掃事務所の塵芥処理作業に従事し、昭和三九年四月正式に職員として採用された。当初は戸別収集や焼却場での作業に従事していたが、右正式採用の頃から委託別収集を担当して当時に至つた。同人は日常健康で昭和三九年四月から本件災害の日まで病気欠勤したことなく、又疲労した様子も見えなかつた。

(4)、李は昭和三九年七月二四日平常どおり午前七時半頃家を出て自転車で和歌山市清掃事務所(同市中島一四六番地所在)に出勤し、同八時二〇分頃鎌田行雄運転の二トン積み貨物自動車(キヤプライト)に同僚作業員浜保と共に乗り組み右事務所を出発、受持区域である中水道坂から堀止までの間、吹屋町、屋形町周辺のアパート、マーケツト、飲食店等約二五ケ所を巡回した。この間李は右長浜が運んで来た塵芥の容器を、自動車の荷台の上から引上げ、塵芥を車上に積む作業をしていたが、午前一〇時頃荷台が満載になつたので駒井谷埋立地に向かい、同一一時頃到着、直ちに荷降ろし作業にかかり、同一一時半頃これを終了した。そこで午前中の作業を切り上げて、付近の小屋で昼食をとつたが、その際李は普段と全く変らず持参の弁当をほぼ全部平らげ、約一時間程休憩した後、午後〇時半頃右埋立地を出発して前記受持区域に引きかえし同地域内の残り一〇ケ所程を回り、午後一時半ないし二時頃満載になつたので収集作業をやめ、同二時から二時半頃までの間に前記埋立地に到着して荷降ろし作業にとりかかつたところ、作業が半分程進んだ頃(午後二時一五分頃から二時四五分頃の間倒れた。

(5)、当日は午後三時の気温摂氏三〇、三度、湿度六二%(和歌山地方気象台観測)で相当暑い日ではあつたが、七月の気侯としては普通であり(湿度はむしろ低い方である)殊に同月一三日から当日までの間、一九、二〇の両日を除き、連日三〇度を超える日が続いていることを考慮するならば、その日だけがとりわけ暑い日であつたということは認められない。

右認定の事実によれば、本件発病当時李に疲労の蓄積があつた形跡なく、又当日の作業が日常の作業に比し、その環境(気象条件、作業現場の物理的条件等)、内容において特に過重であつたという事実もない。且つ右作業は塵芥処理場の悪環境を考慮に入れても、なおその質及び量から見て著しく血圧を高進せしめる程の重労働であつたとは認め難い。以上の判断に従えば、本件業務が前項摘示の血圧の限度超過に相当程度の原因を与えたものと云い得ないこと明らかである。よつて本件業務と本件発病との間に相当因果関係を認めることはできない。

五、最後に原告は本件死亡の一因として本件発病後の処置の不適切を挙げ、これと本件業務との間に因果関係があることを理由に本件死亡の業務起因性を主張するからこの点につき判断する。

<証拠省略>を総合すると、李が倒れるや直ちに居合せた同僚が同人をかかえ上げて凉しい木蔭に移し、急拠前記清掃事務所へ電話連絡して救急車の手配を依頼したが、しばらくして駆けつけてきたのは同事務所所属のマイクロバスであつたこと、右自動車で李を病院へ運ぶ途中、同人は二度程嘔吐したこと、病院に到着したのは午後三時頃で、発病時刻(午後二時一五分頃から同四五分頃までの間)から医師の診察を受けるまで最大限約四五分の時間を要したこと、以上の事実が認められ、これらの事実よりすると発病後病院に収容されるまでの処置がその症状を殊更に増悪せしめ、死の結果を招来する原因の一つとなつたのではないかとの疑問も生じ得るのであるが、他方右各証拠によれば、李の発作は極めて急激に生じ且つその直後意識障害ないし言語障害、右半身不随という重篤な症状が急速に起きていたこと、病院収容直後診察した医師は「もう助からない。家族を呼ぶように」と付添いの同僚に告げていたこと、李は発病後死亡するまで終に意識を回復しなかつたことなどの事実も認められ、これらの事実よりすれば、李の症状は当初から極めて重篤、危険なものであり、これに因り本件死亡に至つたことも充分考えられるから、前記疑問を医学的に解明する資料のない本件に於ては結局本件発病後の処置と本件死亡との間の相当因果関係の存在は、これを認めるになお躊躇せざるを得ないのである。よつて原告の右主張は採用できない。

六、以上の理由により本件脳出血は労働者災害補償保険法第一二条、労働基準法第七五条第二項、同法施行規則第三五条第三八号所定の「業務に起因することの明らかな疾病」でなく右疾病による本件死亡は労働者災害補償保険法第一条、第一二条第二項、労働基準法第七九条にいう業務上の事由による死亡には該当しないと言わなければならない。

そうすると、右と同趣旨に出た本件決定は適法であるから、その取消を求める原告の本訴請求は理由がない。

なお、業務起因性の立証に関する原告主張の法理は基礎疾病の存在が高度の蓋然性を以て推定される本件においてこれを適用するのは適切でないから右主張も亦採るを得ない。よつて原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 入江教夫 最首良夫 藤戸憲二)

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